波止場ねっとでは、わずか21歳の若さで亡くなった元日活の大スター赤木圭一郎を偲び作成しました。
トニーと呼ばれ石原裕次郎、小林旭に次ぐ第三の男として活躍し、将来を嘱望されていました。
現在でも和製ジェームスディーンと呼ばれています。
最近は当時の赤木圭一郎を知らない高校生のファンも多いと聞きます。
このサイトには赤木圭一郎の音楽、写真、ビデオなど多くのコンテンツがあります。
代表作には紅の拳銃・霧笛が俺を呼んでいる・抜き射ちの竜などがあります。
石原裕次郎・弔辞
赤木君
君は行ってしまったんだね。
我々の手の届かぬ遠い所へ・・・
撮影所の白い壁に肩幅の広い四角い影をうつしながら、大股に立ち入禁止の芝生の柵を飛び越えて、
両手をズボンのポケットに突っ込んだまま、肩で食堂のドアをあける。
そして丸いクリクリした大きな目でいつもの君だけのあいさつを交わすんだ・・・・・。
そしてテーブルにすわると、君のすきだったおかしな、本当におかしな話がはじまる・・・・。
そして大きな口をあけ、声にならない大きな声で笑い出す。
その健康で快活だった君はもういない。
僕は信じたくない。
そうだ、ついこの間、君が僕を見舞ってくれたとき、君はジェット機のイカスのを作ったんだけど、出来上がったら裕ちゃんにやるのおしくなった・・・って、そういって大きな声で笑ってた君は、
その小さなジェット機に乗って行っちゃったのかぃ?・・・・
僕の足の方ね、昨日はじめて一ヶ月ぶりに、松葉杖とやらで歩いてみたよ。
廊下のエレベーターまでボチボチ行ってみたんだ。
エレベーターのドアがあいたとき、小さなジェット機を大切そうにぶらさげてまた君がやって来てくれたのかと思った。
赤木君!
君は僕たちの・・・・・
皆んなの心の中に、いつまでもいつまでも生きている!
君は少し疲れているんだよ。
静かに・・・
しあわせに・・・
安らかに眠れ。
1961年2月14日12時20分頃、映画『激流に生きる男』セット撮影中の昼休憩時に
セールスマンが持ってきたゴーカートを日活撮影所内で運転中、咄嗟にブレーキとアクセル(乗用車とは逆位置)を踏み違え60km/h以上のスピードで大道具倉庫の鉄扉に激突し、慈恵医大病院に緊急搬送された。
一時は意識が戻ったものの一週間後の2月21日、前頭骨亀裂骨折に伴う硬膜下出血のため21歳の若さで死去。
赤木圭一郎の家族らと共に長門裕之も臨終に居合わせた。
事故直前に同じく『激流に生きる男』出演中で撮影所にいた子役時代の江木俊夫は、赤木圭一郎からゴーカートに誘われていが、小林旭から「一緒に行くと危ないぞ、それより飯でも食おうよ」と呼ばれたためと共に食堂で食事をしているところに、外から大きな音と騒ぎが聞こえて赤木圭一郎の事故を知ったという。
志賀高原でのスキー事故により入院していた石原裕次郎は赤木圭一郎の事故死によるショックで病状が悪化したという。
(Wikipediaより抜粋)